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榛東村の文化財 -1-

茅野遺跡

  国指定史跡

かやの公園の写真

  榛東村大字長岡字神楽師に位置する。ほ場整備事業に先立って平成元年から行われた発掘調査によって発見され、縄文時代後・晩期の社会を知る上で重要な遺跡であるとして保存されることとなり、平成12年に国指定史跡となった。
  遺跡からは、縄文時代後期後半から晩期前半にかけての竪穴住居、墓こうやわき水を利用して作られた水場など、多彩で貴重な遺構や遺物が発見されている。なお、現在は公園として整備されている。

 

茅野遺跡出土品一括

  国指定重要文化財

  茅野遺跡からは他地域との交流を示す多量の土器、石器や祭祀的な遺物が数多く出土している。これらは縄文時代後・晩期の社会を考える上で特に重要とされ、平成4年に主な遺物1,950点が文化庁により一括指定された。特に土製耳飾りは577点を数える。同年に開館した展示施設は、「榛東村耳飾り館」と名付けられ、茅野遺跡出土品を中心に世界の耳飾りを収集し展示している。

 

広馬場13区の地蔵祭り

  県指定重要無形民俗文化財

  8月の盆会に青年達が地蔵神輿を担いで部落内を巡回し、先祖、子どもの供養、願い事成就のために祭りを行う。神輿の制作は、水沢観音の建築に従事した大工の手によって18世紀後半に製作されたものと推定され、黒漆を塗り一部には金箔も施されている。

 

高塚古墳

  県指定史跡

高塚古墳の写真

人物埴輪の写真

  標高170m前後の小丘陵上に築造された全長61mの前方後円墳である。
  石質は後円部南側で、ほぼ南に向かって開口する巨石使用の両袖型横穴式石室で全長約10mである。

  出土遺物は、器財埴輪・人物埴輪・玉纏大刀などである。

 

孝経の碑及び文明の墓

  村指定文化財

  文政2年(1819)に富沢文明らによって建てられたものである。碑は台石に乗った角柱で、高さ165cm、幅75m、その四面に古文孝経22章全文が刻まれていて笠石を含めた高さは285cmある。文明の墓は門弟たちが師の徳を慕って建てたもので富沢家の墓地にある。

 

東光寺薬師堂の厨子

  村指定文化財

  木造金箔の薬師如来を収蔵した間口118cm、奥行き102cmの大きな厨子で、全体に黒漆を塗り、さらに彩色、金箔等を施したもので屋根もあり、建物の形となっている。
  薬師堂の中に納められていて風雨の害から守られている。

 

柳沢寺縁起二巻

  村指定文化財

  船尾山記一巻と船尾山柳沢寺所伝縁起一巻のことで、前者は寛政5年(1793)、後者は天保2年(1831)に書かれている。
  両者の内容は同一ではないが、「神道集」の中の「上野国桃井郷八ヶ権現事」という物語が、民衆の間に流布されるなかで生まれた物語である。

 

広馬場明細帳

  村指定文化財

  正徳6年(1716)広馬場の村勢の概要を名主から代官に報告したものの控えである。
  産米高や耕地の面積、山札(落葉札)の枚数、代金額、上納未積出し運賃、溜池、猪を射った為に許された銃の数、神社や寺の免租地の面積、石高等が記されている。

 

御堀地蔵堂の板碑

  村指定文化財

  湯浅家の墓地、地蔵堂内に保管されている青石塔姿である。高さ68cm、幅38cm、厚さ3cmの緑泥片岩の表面に「南無多宝如来、逆修、応永5年」(1398)の銘文と梵字のほか、多宝塔が彫られている。死後の安楽を祈って供養を行い、その証として造立したものである。

 

大宮神社獅子舞

大宮神社獅子舞の写真

  村指定文化財

  創設は中世とも、寛永年間ともいわれている。獅子頭は左甚五郎の作という伝承があって優美であり、舞は鹿島流といわれ、日挟流の分派とも見られている。
  舞曲数は38通りを伝承してきたが、現在舞われているのは10曲程である。雨乞祈願についての霊験碑が神社境内に立てられている。

 

新井獅子舞

  村指定文化財

  享保年間に創始したと伝えられている。北新井の獅子舞は明治の初め頃解散し、南新井のものが現在にまで伝承されている。
  構成は、棒使い2名、振付、かんかち、前獅子、中獅子、後獅子各1名、はやし方数名、世話人数名である。現在の舞曲数は30程である。


掲載日 令和3年9月16日 更新日 令和3年9月29日
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