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榛東村の文化財 -4-

スギ

  村指定文化財

  村指定文化財
  指定  昭和61年5月22日
  (北十二地内)

下新井遺跡

   下新井遺跡は県営林業試験場北西約0.8kmに位置している。
   昭和59年度圃場整備事業に伴い、発掘調査がなされた。その結果、検出された遺構はほとんどが縄文時代後・晩期のもので、調査区の中央部で配石遺構、それを取り囲むように住居址が認められた。
   出土遺物は、土器・石器などの生活用具をはじめとして、土偶などの儀礼のために用いられた遺物も多数検出された。

長久保古墳群

長久保古墳群の写真

   長久保古墳群は高塚古墳の南東約200mに位置している。
   昭和51年~53年にかけて団地造営に伴い発掘調査が行われた。その結果、前方後円墳2基・円墳20基の計22基が確認された。
   出土遺物は須恵器・土師器などをはじめとして、大刀・耳環・玉類なども多数検出された。古墳の一部は緑地公園として現状保存されている。

御堀遺跡(桃井城址)

   桃井城址は榛東村大字山子田に所在し、午王頭川と南城寺川にはさまれた台地上に立地している。城は東西約210m、南北190mの地域で西には半円形に空堀を構え、東には直線的な水堀を掘って、午王頭川分流の河道と南城寺川とを結んでいる。その中央よりやや南寄りに追手虎口を構えて城の正面としていたと推定されている。

柳沢寺  本尊  阿弥陀如来

柳沢寺の写真

   柳沢寺は推古天皇(593~628)の御代、上野国司高光中将が立てたと伝えられ、別の伝説では嵯峨天皇の弘仁年中(810~823)に伝教大師が東国へ巡教の際、この地方の武将満行が建てたともいわれている。古い由緒と伝説を持ち、多くの檀家を有する寺である。

阿弥陀如来の写真

   境内には縁日や節分に賑わう千手観音のほか毘沙門天、伝説をもつ思河弁財天などがまつられている。観音様の参道は村道から上る石壇上に冠木門が立ち、参道の中程の石段上に山門がそびえ立っている。さらに山門の奥の石段を上った右側に延宝4年(1673)鋳建の梵鐘があり、参道の一番奥の杉木立のなかに古色蒼然とした観音堂がある。

 

柳沢観音の縁日

   柳沢寺境内にまつられている千手観音の縁日は8月13日で、露店が立ち並び正午頃から賑わい始めて夜9時頃が人出の頂点となり、参道は村内外からの参拝者善男善女であふれる。
   この縁日は、お盆さまへの供え物を買い整える市として栄えてきたが、近年は他の縁日と同様の露店が出店するように変わってきた。

宮昌寺  本尊  釈迦如来

   創建された年代はつまびらかではないが、伝説によれば伝教大師の創設による船尾山坊の一つであったが養和元年(1181)千葉常将によって船尾山坊が全部焼失した際、薬師如来がここの池に飛来したので、ここに寺を建てたという。
   文禄年間(1592~1596)に箕輪城主井伊直政侯が田畑を寄進し、寛永8年(1631)双林寺の関徹禅師にお願いして曹洞宗に改宗し、宮昌寺と改称した。宮室山を北に負って寺域も広く柳沢寺に次ぐ名刹である。

字輪寺  本尊  阿弥陀如来

   宝亀元年(770)伝教大師により開建され、弘仁12年(821)真雅僧正尊が寺号を改め、天台宗から真言宗に改めたという。
   住職は大正のはじめ頃無住となり、群馬町金剛寺住職の兼務となっている。
   境内の十一面観音は「群馬郡三十三番札所」の第一番となっている。


掲載日 令和3年9月16日 更新日 令和3年9月28日
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