榛東村の文化財 -5-
蓮花寺 本尊 不動明王
建立の由来は不明である。東京渋谷宝泉寺の末寺であったが、昭和4年に柳沢寺の末寺となり、真言宗から天台宗に変わった。
境内に村の指定文化財「百々万遍供養塔」のほか「不許葷辛酒肉入界内」などの仏跡がある。
東光寺 本尊 阿弥陀如来
文永元年(1264)直舜法印が創建したといわれ、元禄16年(1703)柳沢寺の末寺となった。
檀家は神薬師部落の一部が主体でその数は少ないが、境内の薬師如来は大字長岡一円を信者として参拝者が多かった。この薬師如来を納めている厨子は村の指定文化財である。
桃教寺 本尊 地蔵菩薩
天文年間(1532~1554)に柳沢寺の末寺として大周有法和尚が開山したという。
一説には元弘年中(1331~1332)に桃井郷の領主桃井義通が父尚義の供養を行ってこの寺を建立したともいわれている。
興徳寺 本尊 地蔵菩薩
八幡川、蛇ヶ見川の間の閑静な場所にある。天正6年(1578)に僧亮円が柳沢寺の末寺として建立したと伝えられているが、現在は無住で檀家も殆どいない状態で寺勢振るわない。
大福院 本尊 不動明王
保延6年(1140)京都三井寺の兵火を避けて当地に来た本覚院小野沢直覚が山伏修験聖護院の末寺として開建したという。
その後、安中藩広馬場祈願所として民衆の信仰を集めた。
ここには村指定文化財の広馬場明細帳をはじめ多数の古文書が保存されている。
柳沢寺の板碑
柳沢寺では最近二つの板碑が発見された。その大きい方の板碑は、下部が欠損しているが、長さ136cmもある大きなものである。鎌倉時代のものと思われ、本村最古のものであろう。
小さい方の板碑は南北朝時代最後の明徳3年(1392)の銘が見える。
黒髪神社の石祠
神社裏手の一段高い所に表側に天神地祇と刻んだ石祠がある。この裏面に「弁慶公遺書」として次のような数字ばかりをつらねた歌が刻まれている。
八万三千八三六九三三四一八二
四五十二四六百千億十一
これは「山道は寒くさみしし、ひとつやに夜毎に白くももち置く霜」と読む。県下に2~3例しかない珍しいものである。
御堀の五輪塔
五輪塔は中世(鎌倉時代~室町時代)の地侍層の墓石として造立されたもので戦国時代や、その後の長い歳月のなかで消滅したものが多く、この村に残っているものは、ほぼ完形のもの十数基、部分のみのもの五十基程である。完形のものの中で大きいのが、御堀の畑の一隅にあるもの、大川の田の一隅や、八之海道富沢家墓地にあるものなどで120cm前後の高さがあるが、いずれも無銘である。