榛東村の文化財 -6-
大宮神社
欽明天皇の3年(541)に創建、武烈天皇を祀ったという。また、御諸別王の子、賀袁真雅命が上毛野の一族有馬公の先祖を祀ったともいわれている。
社殿は嘉祥年間(9世紀中頃)兵火により焼失再建した。現在の社殿は大正10年の再建である。祭神は小長谷若雀命ほか3柱。
常将神社
祭神は柳沢未縁起の主人公、千葉常将である。常将の夫人によって承歴3年(1079)山子田神田に社殿が完成したという。
元禄14年に現在地に社殿を造営遷座した。
享保17年に正一位将宮の宗源旨をうけ天保十五年、拝殿を再建したという棟札があった。現在の社殿は昭和25年に改築したものである。
八幡宮
嘉禄2年(12269桃井義胤が、鎌倉の若宮八幡を勧請して創建したと伝えられている。桃井氏は荘司として勢力が盛んであったから八幡宮を武神として崇敬したのであろう。
八幡宮は応永34年(1427)洪水によって流失して再建されたが、現在の社殿は明治41年に再建したものという。
聖宮神社
宝亀3年(772)京都より勧請したと伝えられている。また、のちに桃井播磨守直常が馬乗武術を奉納したという伝承もある。
文亀元年(1501)神殿を再建し、慶長6年、井伊備前守が田畑八反歩を寄進し、寛永2年(1625)安中藩主板倉土佐守が神饌幣帛料を納めたという。祭神は大市比売命。
宿稲荷神社
在原業平もしくは箕輪城主長野氏ゆかりの神社と考えられ、藤原貞業なる者が京都伏見から勧請したといわれている。
安政3年(1856)領主大久保忠昌が祈願所として備前長船の名刀を奉納している。
現在の社殿は江戸時代末期のもので、社殿を飾る見事な彫物は勢多郡花輪(東村)の彫師石原常造の手によるものである。
黒髪山神社
相馬山は山岳信仰の霊山として厚く信仰されていた。しかし、険阻なため老人、婦女子には登拝が困難なため里宮建立の気運が高まり南和十郎ほか地元の有志が発起人となり、山頂に社を造営したのち、明治20年現在地に神道修成派上野祠(黒髪山神社)を成完した。
節分、2年参りなどの祭典には講社によって村内は勿論、前橋、高崎方面からの信者で賑わう。祭神は大山祇命。
大山祇神社
11区部落の鎮守として奉祀されている。由来不詳であるが鳥居にある刻銘から約300年の歴史を有していることが推定される。
付近には古墳も多く景勝の地にあり、数本の松の巨木が景観に風情を添えている。